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  • 『クスクスの木の物語』が生まれたわけ


    ‐ある老女−

    炎天下、2007年の長崎の8月9日の式典が終わってから、バス停にいた私に一人の老女が寄ってきました。「あなたにだけ教えてあげる。内緒内緒。毎年このクスノキを見に来てました。でもこんなことは初めて。ほら、あそこ。」喪服姿の品のいい老女はいきなり近づいてきて、耳もとでコショコショと内緒話を伝えてくれました。低いレンガの塀の向こう側に立つ木の幹を指さす老女。「あそこ。今年初めて。キノコが生えるなんて。」そこにはサルノコシカケのようなキノコが生えていました。キノコが生えているということはこの老木も...しかし彼女はこれまでにない木の変化をみてむしろ喜んでいるようでした。「私はこのすぐ近くに住んでいたの。他のひとに言うととられちゃうかもしれないから、内緒よ」子供っぽく言う見知らぬ老女。キノコが生えているその変化を喜ぶ彼女の笑顔。そこに一言ではいいえぬ彼女の深い歴史を感じました。彼女はその後バスに乗っていったのかどうかよく覚えていませんが、いつの間にか消えていました。


    一方、私は幼少時から原爆投下後現地にいた方たちの話を聞くことがよくありました。私自身は原爆や戦争の体験者ではありません。幼少時に遊んでいるとき、来客として来ている人たちが親と当時の状況をつぶさに語っているのを聞いていたものです。おさな心にそれは強烈で、そうした夜、夢の中では追体験していたようです。今でも畑にうつぶす自分のすぐ脇を米軍機からの射撃がババババと通り過ぎて行くのを実感を伴って思い返します。しかし被爆体験は想像外です。鉄でも1500度程度で溶け、2700度程度で蒸発しはじめます。4000度強のなかを肉体として生き延びることを選択された魂には、それがどんな理由であれ、敬意を表せざるを得ません。


    私自身、戦後70年を迎える今年、半世紀以上を生きた者となりました。幼少の頃の話を思い出します。戦時中を生きた自分の親や親戚縁者も亡くなっていったり老いたりしてきました。2015年現在、80代、90歳の人でも、当時は十代の若者です。自分に直接の体験は無いものの、耳で伝え聞いた話でも、自分の子供の世代に残しておきたいと考えるようになりました。特にパソコンやスマホでできるゲームの多くが戦闘ものです。それに病みつきになっていく周りの青少年の脳や心はどうなっていくのだろう?少なくとも実際の戦争のことを知ってほしい。戦争に関する話はたくさんありますが、いつか自分で知っていることを伝えたい、そういう気持ちはずっとありましたが、何もしていませんでした。戦後70年の声を聞いたとき、一気に書き上げたのが『クスクスの木の物語』でした。

     

     

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